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私が思うポケモン対戦の素晴らしいところ

はじめに

私はポケモン対戦初心者です。今回記事を書こうと思ったのは単純にポケモンについて話す友達が欲しくて、そのためにはなんでもいいから考えや思ったことを発信することが大事だなと思ったからです。やっぱり実際に文字に起こした方が自分の人柄とか知ってもらいやすいし、声をかけてもらいやすくなるんじゃないかな?やってみないと分からないからとりあえずややってみることにしました。今日、ポケモン界隈ではいろいろな論争を目にしますが、この記事は初心者だからこそ書く意味があると思いました。

私が思うポケモン対戦の素晴らしいところ


1.ポケモン対戦は株のようなもの


どのポケモンが強いだとかこの構築がいまキテるといった会話がポケモン界隈ではよく見られます。なんとなく対戦を重ねる上で「〇〇増えてきたなー」とか「もうめっきり〇〇見なくなったな」と体感で環境を感じる方やPGLのデータを重視したりSNSの口コミを調べる方、人脈を生かしてお互いに信頼できる情報を出しあって環境を想定していく方、いろんな人がいます。ポケモン勢がこういった類の話をする時、僕はいつも株を思い浮かべます。流行を見極めて自分が強いと思う銘柄(構築)にコスト(時間、思考)をかける。これはもう完全に株トレードのそれです。実社会の人々が日々リスクをかけて行っている行為を、「遊び」として、センスや思考力を競い楽しむことができるのです。(ここでいう遊びとは「リスクがない娯楽」ということ)ポケモンは情報戦であるといった話になるとそれをあたかも情報を知ってしまえば終わりでないか、結局情報ゲー、と悲観的に捉える人もみかけます。が、私はそうは思いません。先ほども述べた通りポケモンには環境の循環という特徴があり、センスや思考力、分析力が試されるので、そこには娯楽としての競技性はあると考えます。(もちろん経験則によるアドバンテージはある。)結局何が言いたいかっていうと情報ゲーとしての側面も楽しいじゃん!っていうことです。構築記事をみかけると「なんとなく〇〇が刺さっていると思ったので...」から入る記事をよく見かけますが、そこに至る考えをもう少し掘り下げたり考えを公開する風潮があってはいいのではないかと思います。


2.レートにおける今日の論争


対戦が株ならレートはお金のようなものであると私は考えています。ポケモン界隈でよく見られる論争をまとめると①レートが高い人が偉い②いやいやレートはあくまで結果だけであって過程が大事だよね③でもレートが無いと絶対的な指標がないよね④いやそもそも過程を大事にしたらレートがついてくるのでは?この①から④が繰り返されているのをよく見ます。レートっていったいなんなんでしょうか。なぜ人々はレートの話でいつまでも盛り上がるのでしょうか。それはレートが実社会でいうお金のようなものであると私は考えます。

・レートは絶対的な社会的価値を持っている

過程を大事にする人、レートの結果を求める人、いろいろな人の価値観があると思います。ここで言いたいのは、「レートが高い人そのものやその考えを羨んだり価値を置いている人が多くいる」という事実です。一定数の人々の需要を生んでいるものであるということ、これは一つの絶対的な価値があるということができます。つまりレートはお金のようなものなのです。

・「レートが高い人そのものやその考えを羨んだり価値を置いている人が多くいる」のはなぜか

1、自分自身でゲーム性を作る人が置く価値

例えば音ゲーのスコア、レーシングゲーのタイムアタックなど、自分自身で目標を立て、それを達成させることを楽しみ方の一つとしている人がいます。例えば、2000を越えて満足。といった楽しみ方をしている人がこれにあたります。2000を超えるということがマリオでいうクッパを倒すところにあたるのかもしれませんね。目標達成の為に高レートの人の構築記事を重視し、参考にする、といった行動は至極当然でしょう。そこに自分の頭で考えることを美徳とする人との論争もよく見られますが、人は本能手に数字が好きですから、人の構築でも2000にいければ、という人を一概に叩くことはできないと私は考えます。

2.承認欲求を満たしたい人が置く価値

ところで、高レートを記録している人のツイッターを見てみるとフォロワーが多く、多くの人にちやほやされている様子が見られます。ポケモンに関すること以外の発言や行動にも良い補正がかかっているなと思われることもよく見かけられます。ポケモンというゲームを通して「認められたい」「何者かになりたい」と声に出さないだけでそういった自己顕示欲、承認欲求を内に秘めている人は意外と多いのではないでしょうか。先程も述べたように、レートは人々が求める普遍的かつ絶対的な価値があるので高レートに価値を見出すのは自然な考え方です。ここで書きながら思ったのですが、もしかしたら「高レートにならないと構って貰えない とみんなが思ってるだろう」という1種の囚人のジレンマな様な考え方(誤用ですがニュアンスで察してください)が目に見えない仮想敵をより強大なものとさせ、今日のレート論争を過激にさせているのかもしれません。


以上がレートに価値が生まれる要因です。1だけに当てはまる人もいれば、2だけ、または両方当てはまる人もいると思います。2つの価値観は時に離れ、時に絡みあい、人々が見出す価値を多様化させているでしょう。


3.ポケモンの持つエネルギーが素晴らしい

価値観は人それぞれであるし、そこに貴賎はありません。おしなべて尊重されるべきだと思います。ただ私は自分の欲求とたてまえの間でがんじがらめになっている人にもっと正直になっていいんだよ、と言いたいです。ゲームを通して、自分の目標を達成して満足したり、人に認められたいと思ったりする、それでいいじゃん!だってあなたはそれで頑張ってるんだからこんなに素晴らしいことないじゃないの!と思います。ポケモン対戦を株とお金に例えましたが、お金を稼ぎたいと思う人、お金を稼いで人に認められたいと思う人、何をもってお金を稼ぐかに美徳を見出す人、お金の稼ぎ方を考えるのが好きな人、それぞれいると思います。こうやって欲求が多様化して、人々がそれぞれ自分の楽しみ方を見出して、こんなにも議論されてエネルギーが渦巻いてるゲーム、素晴らしいじゃないですか。オニゴーリにハメられて怒ったり、急所に当ててラッキーと思ったり、自分の思い通りになって全能感を味わったり、ボコボコにされて落ち込んだり。専門性と射幸性の絶妙なバランスでこんなにも喜怒哀楽のエネルギーが満ち溢れているゲーム、そうそう無いですよ。運勝ちや運負けに対して一喜一憂することを愚かだとか、幼稚であるとする考えも見られます、高みを目指すことを美徳だとしている方に多いかもしれません。ただ、ポケモンはやはり娯楽として大きな1面があります。あなたが本当に賢いなら一喜一憂することも効用(喜びや楽しみ)を増やす要素であると思いませんか?

4.ポケモンはキャラクターゲームであるということ

やっぱりポケモンの素晴らしさにはキャラクターゲームであるということです。急所に当てられて「こいつ自覚ねーなー」って怒ったり、あまり見ない持ち物を持つポケモンに笑ったり、なにより自分で育てるのですから、カードゲームやボードゲームにはない独特の愛着がありますよね。ポケモンを、誰もデータやドットの羅列として見ている人はいません。生き物として見ているのです。自分の愛着のある仲間と一緒に、こんなにも頭を使って、喜怒哀楽を感じられるゲーム、私は他に知りません。


さいごに
冒頭にも述べましたが私はポケモン初心者で高レートを記録したこともありません。何者でもないのです。恐らくこの記事を見てくださっているあなたは高レートよりは考え方や過程を重視している人なのだと思います。今回の記事を通してポケモン界隈の風通しが少しでも良くなって欲しいというか、肩の力が少し抜けたらいいなと思って書きました。そして私自身の考えは、過程を考えることや考えを共有することに重きを置く人がもっと増えてほしいなと思います。なぜなら私はみんなで考えをがやがや話あってあーでもないこーでもないと頭を悩ませて試行錯誤している時間がたまらなく好きだからです。いろんな人と話したいな。

もしこの記事に何かを思ってくれた人は反対意見とか俺はこう思うってことを書いてくれれば禿げ上がるほど嬉しいです。




Twitter:tatsuo_poke


もしよかったら僕と友達になってくれ〜!インターネットで友達作ったことないんだよ〜